東海道五十三次を歩く 吉田宿から岡崎へ その一 藤田 静枝
2009年2月掲載
海外生活を含め、十五回の引越しの末、大田区に落ち着いた時、漸く旧街道歩きを実現できると思い始めました。そんな時、新聞で「旧東海道を歩こう」の記事を見つけ、早速参加しました。昭和六十三年の暮でした。
江戸日本橋を起点とし、四百九十二キロ、日帰りで歩く月一回の行事です。しかし、街道が西に伸びるに従い日帰りでは距離がかせげなくなり、グループもだんだん個々に分かれ行動するようになり、私達夫婦も丸子の宿からは二人で歩くことになりました。そして平成十年十二月、京都の三条大橋に到着、十年がかりで旧東海道を完歩いたしました。その思い出の一部をお話したいと思います。
平成八年三月下旬、吉田宿から岡崎に向かって歩きました。早朝、家をでてJR川崎駅で六時五分静岡行き普通列車に乗り、途中静岡・浜松と乗り継ぎ豊橋に着いたのが十一時過ぎ。早速 前回の最終地、市内の札木へ。NTTの建物を目標に札木の交差点、本陣跡を確かめ、格子戸、白壁の家並みを楽しみながら旧道を進みました。その途上にある菜めし田楽で有名な江戸時代からの「きく宗」で昼食をと思って来てみると本日休業の看板。残念! 前回、吉田城の手前では道を少し見失ったので、再びその地点へ。なにしろ豊橋は戦災で大方消失、今はまた市街開発の道路工事等のため、迂回を強いられること度々。町並みが整えば反比例して旧道が姿を消してゆくのは観光面からも惜しまれます。
家から持参の非常食に、途中の店で求めた餡パンの昼食を豊川のほとり、豊橋のたもとで済ませました。それからは、車の往来の激しい国道を右に見ながら、西へ殆ど真直ぐ進むこと三時間ばかりで御油の町へ。御油大橋で歩きを止め、今日の宿の国府に戻りました。宿は音羽川のほとりで庭先の桜の蕾が膨らみ、おっとりしたおかみの話では、来週あたりは花見の客で賑わいましょうとのことでした。しかし、今日の泊まりは我々二人だけで、のんびりゆっくり疲れをいやすことが出来ました。 つづく