東と西と 高沢 英子
2009年6月掲載
連休中に思い立って遠野に足を伸ばした。四泊五日ばかりの駆け足の旅で、東北の風土の思いのほかの温かさを身に沁みて味わった。北に行くからと、気温の低さばかり気にしていたが、時節が良かったせいで北国の厳しさを実感するかわりに、西の近畿一帯のように人手が入っていない自然の森や林が、遥かにもっこりとひろがり、まるで煙っているような新緑の芽吹きと、ところどころ、これも自生らしい山桜が彩りを添えている山々の美しさを満喫した。会津、花巻、遠野、そして裏磐梯と廻って日本に今なお残る山野のうるわしさと人の心の穏やかな厚みをたっぷり味わったいい旅となった。
帰ってきた東京は、見渡す限り山らしいものは殆ど見えず、空はあくまでも広く、ビルを連ねている街中でも、やはり空、空、空である。だからといって、人だらけの新宿や渋谷を沙漠と呼ぶのは心象に溺れ過ぎではないか、という気もする。
かつての武蔵の国はどのようなところだったのだろう。西の国生れには想像もつかないことは今でもある。東と西の違いは、と聞かれることがあるけれども、津々浦々から集まっている多様な人々の暮らしや、風貌、果ては名前に至るまで、思いがけない発見をしたり、人間関係で相互に醸される微妙な空気やしぐさ、反応の仕方など、細かいところ での気づきは色々ある。
生活のディティールのなかで、問題にもされず見過ごされていることで、はっとすることもある。そして、案外昔から言い古され、手垢にまみれているようなことばが的を射ていると思うこともある。「東男と京女」の伝統などは意外に根強く生き残っている、と実感することも多い。 けれども、現在私が住んでいるのは大田区の一隅で、そのなかのかなりの規模の大型マンション群のなかであること、そこに住んでいる人たちの大半が若い家族である、ということを考え合わせると、こうした条件が、私の実感にどれほどか影響を与えているかもしれないから、いくら公平を目指しても、結局薮にらみ東西論ということになるかもしれない。現代の東京は既に江戸にして江戸にあらず、いわば寄り合い所帯であることも確かなのだから。
強いて薮にらみを利かせると、西と東では、というより、関西の都市と東京では,といったほうが正しいかもしれないが、人と人との距離が違うという気がする。東京では居住地域内での相互の距離が案外遠く、仲間同士の距離は短い。関西では居住地域内での距離はもっと短く、仲間同士であることとさほどの差はない。こうした距離を礼とか遠慮、慎みと取れば良い評価になるし、冷たく閉鎖的で自己中心と解釈すれば悪い評価となる。古人は居は気を移す、といったが、風土も長年の間に人の心を変えるかもしれない。東と西の比較は簡単に出来そうにない
●高沢 英子(たかさわ えいこ)
下丸子在住