町工場社長55歳 博士への道 その2 妻に心よりの感謝 田中隆
2011年12月掲載
2004年春、梅津教授から「隆君も人工心臓関係では色々ノウハウを蓄積してきたし、ここらで区切りとして博士論文にまとめてみたら?」の一言を頂戴した。この歳で(当時48歳)、仕事と博士論文の両立なんてできるのかと不安もよぎったが、生来楽天的な性格でもあり、まわりの後押しもあって2005年春に社会人博士課程選考試験を無事通過し、スタートを切った。一時期我が家には、娘・息子・私の計3人の学生がいたのだ。学生証も所持していたが、利用したのは大学近くのラーメン屋で「学生証提示で百円割引」の一度だけだった。
ところが、2005年12月、「お前にはまだ社長職は譲れない(任せられない)。」と言っていたオヤジが急逝した。年明けてすぐ設計業、学生業に社長業も加わり三足の草鞋(?)状態となった。しかし、乗りかかった船でもあり、なんとかそれぞれの“草鞋”をこなした。
博士課程開始と時を同じくして、視覚障がい者用筆記具「触図筆ペン」の開発が始まった。視覚障がいの人が絵や文字を自由に描ける筆記具は今までなかった。香川県立盲学校の美術担当の栗田先生が、蜜蝋をインク代わりに使うアイデアを思いつき、筆記具にしたいと約10社FAXで協力を打診した。仕事仲間を通してそのFAXが安久工機に届き、仕事仲間の協力も得て開発がスタートした。後に聞いた話では、FAXに返信をしたのは安久工機だけだったそうだ。
開発三年後には大田区新製品・新技術コンクールで特別賞を受賞し、現在も改造を加えながら、来年春の商品化を目指している。偶然、本稿執筆中に「触図筆ペン特許権取得」の通知が来た。協力してくれた人たちのおかげだ。
博士課程のほうは、足かけ6年かかったが、なんとか取得期限ギリギリの今年2月に博士論文が受理され、工学博士号を取得した。論文題目は「機械加工をベースにした臨床用人工心臓の設計と安全性に関する医工学的研究」で、国循時代からの28年間の成果を町工場の立場からまとめた。論文作成に協力してくれた梅津研の皆さん、仕事業の負担を減らしてくれた社員の人たち、加工のアドバイスをしてくれた外注先の皆さんの協力のおかげだと思っている。
論文の謝辞の最後文で締めることにする。
「最後に、50代半ばでの博士号取得に協力してくれた家族に感謝します。特に自分のこと以上に著者の健康管理に注意し、相談相手ともなってくれた妻葉子に心より感謝します。Thank
you・謝々・カムサハムニダ・Merci・Grazie・Gracias・Danke そして、ありがとう。
おわり
●田中隆(たなか たかし)下丸子 安久工機