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文文文(bunbunbun)

 

偶然が続くと、〈運命〉のように思えてくる  川口明子    

2011年2月掲載  

 

  何か一つのことに取り組んでいる時、そちらの方向に誘うような偶然が、どどどどっという勢いで続いて起こることってありませんか? 私は二〇一〇年に『大塚女子アパートメント物語 オールドミスの館にようこそ』という本を出したのですが、その時、まさにそれが起きたのです。
 大塚女子アパートとは、関東大震災後、内務省が設立した同潤会が造った住宅です。同潤会は当初、被災者のために住宅を建てていたのですが、それが一段落した一九三〇年、当時増えていた職業婦人のための高級アパートを建てることになったのです。
 私は取材をするために、アパートの住人だったロシアのバイオリニスト、小野アンナのお弟子さんを探しだしたのですが、アンナの姉、ワルワラ・ブブノワを知る人が見つかりません。その時、ワルワラが早稲田大学でロシア語を教えていたことを知って、早大の露文科出身の友人に、ワルワラの話を聞いたことはないか、訊ねてみました。すると、なんと、彼女の恩師がワルワラの教え子だったのです! これが第一の偶然。
 二番目の偶然は、やはりアパートの住人だった法政大学元教授、駒尺喜美の住まい。七〇年代フェミニズムのオピニオン・リーダーだった駒尺喜美は、晩年に大塚女子アパートのコンセプトを引き継いで友人と共同でマンションを建てたのですが、その所在地を聞いてびっくり! 私が最初に就職した会社がかつてあった所のすぐ近くだったのです。これが都内なら別に不思議でもないけれど、その場所は修善寺から少し奥に入った中伊豆!私は冨士市の実家から通勤したのですが、片道二時間半かかるため、八時四〇分の始業に合わせて毎朝五時半に起床、六時一〇分に家を出るという修行僧のような(?)生活でした。そして、一九七六年に退職して以来、二十八年後に、取材のため懐かしい土地を訪れることになったのです。
 さらに、この本を出してくれた出版社の編集長は、駒尺喜美が開いた女性学の講座の受講生でした。
 本の出版後も、偶然の出来事は続きました。私の茶道の先生のお母さんが、若い頃、同潤会を監督する内務省のタイピストをしていたことが分かったのです。
 こういう偶然が続くのは本を書く時にはよく起こることらしいのですが、思い込み型の人間である私は、この本を書くことは私の使命だったのだと思っています。
 次は、OLのご先祖様である、丸の内の職業婦人について本を書こうと目論んでいます。この次も、偶然が団体様でやってきてくれるといいのですが……。

 

●川口明子(かわぐち あきこ )千鳥町在住

 

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