旅の途中 蒲田切子 その1
「日本人の歴史が変わるかもしれないぞ!」 鍋谷 孝
2012年3月掲載
40年前の1972年のある日。大田区立仲六郷小学校6年生だった僕が、忘れられない日だ。
ユニークな担任だった渡辺七郎先生通称「シチロー」、アオガク卒業四、5年目の熱血教師だ。そのシチローが教室の朝礼で、新聞の一面を僕たち生徒の目の前にかかげた。「高松塚古墳壁画出土!」興奮ぎみに口から泡を飛ばし、福島なまりの早口でしゃべるシチローの話によると、奈良明日香で古墳の壁画が発見されたらしいと言っているようだ。
その時、なんだか、不思議な感じがした。「日本人って何?」 「日本人はどこから来たんだろう?」僕のカラダに真っ白な空間から、金色の弓矢が突き刺さった感覚が残った。
以来、40年ちかく、日本ってなんだろうという好奇心が消えない。また、好奇心が「好き」に変化することもある。歴史、民俗、伝記本だけではく、小説、映画も日本。旅行や山歩きも日本。主食は、米とみそ汁、納豆。好きなお酒も日本酒。嗜好品も日本茶、梅干し、せんべい。講座などでの話のリズムも五・七調と言われる。(和歌や古文は、苦手なんだし、普段の話は下町言葉だか)ごくたまに歌うカラオケもサザンより新沼謙二の「津軽恋女」や谷村新司の「昴」がしっくりする。掃除のときの鼻歌は、「川の流れのように」「天城越え」。神社、仏閣、旧跡、遺跡があれば、思わず足をとめる。通りすぎると引き返して、由来などの表示を読む。近所の名所、旧跡、跡地、遺跡が載っている大田区遺跡地図を眺めると時のたつのも忘れてしまう。(かなり病気かもしれない)
仕事についても、「日本?」がつきまとう。僕は、20年ほど前から、自分のイメージしたガラスや、クライアントの話をきいてイメージしたものを作り手に依頼して、形にする仕事をしている。自分では作らない。職種が何になるかわかならない。横文字だとアートディレクター、デザイナー、プランナー、プロデューサーなどが浮かんでくるが、何なのか?いまだにわからないでいる。いずれにせよ、イメージを形にする仕事であることには、間違いない。
20年前から始めている自分のイメージしたグラスは、2年前に「蒲田切子」と名前をつけた。
この1月、蒲田切子は、観光庁主催の「魅力ある日本のおみやげコンテスト2012」で「LUXURY JAPAN賞」を受賞した。この賞は、「外国人が見て、日本の品格、品性を感じる特別感のあるもの」だそうだ。しかも、応募が七百点の中からの一品選定にもびっくりもしている。「蒲田切子」に「日本の品格と品性」があると評価いただき光栄に思っている。蒲田切子に入っている僕の日本のエッセンスについては、次号にしたいと思っている。 つづく
●鍋谷 孝(なべたに たかし)南久が原在住