旅の途中 蒲田切子 その2
「ヨーロッパで奈良の飛鳥に出会った!」 鍋谷 孝
2012年4月掲載
それは32歳の僕が、三度目のヨーロッパの旅で感じたことだ。木のおもちゃや、蜜ろうのクレヨンの生産者に会うための旅だった。ガラス専門店「フォレスト」の店長だった僕は、息子たちが幼稚園で使っていた木の玩具やクレヨンに深い感銘をうけた。国内に広める手伝いができたらと、父の会社から独立して「フォレスト」社を設立し、ガラス製品の販売のほか、新たに木の玩具などの販売を始めた。仕事を始めるにあたり、ヨーロッパにいる生産者を訪問したいと、輸入元の社長さんに連れていってもらったのだ。
訪問した生産者は、シュタイナー教育の思想にもとづいたものづくりをしていた。ドイツの蜜ろう粘土、クレヨン、絵の具のメーカーの責任者、オランダの楽器をつくる知的障害の人たち、スコットランドの風の谷のナウシカのような村でガラスをカットする知的障害の青年。彼らと会うと、なつかしさを感じた。英語が苦手で何を言っているかわからない僕だったが、彼らから伝わってくる「匂い」が、僕がイメージする太古の飛鳥の匂いのように感じられた。もちろん彼らのつくる製品にも感動した。妄想と言われるかもしれないが、前号で書いた、高松塚古墳壁画発見を聞いた12歳の僕の胸に、突き刺さった金色の矢が、「もう1本」刺さった感覚に近かった。
帰ってきてからは、木のおもちゃ、粘土、絵の具、クレヨンなどを紹介することに喜びを感じながら、販売活動をしていた。時がたつにつれて、自分のイメージを形にしていきたいという衝動にかられるようになった。ちょうど、販売していた絵の具を使った絵画教室に通い始めた。この教室がその衝動に拍車をかけたような気がする。父の工場の切子の技法を使ったオリジナルデザインのガラスを作りたいと思うようになった。フォレストのスタッフや父の工場の職人の人たちとオリジナルのガラス作りが始まった。
その中で、マイグラス、杜康の玻璃(とこうのはり)、水をイメージした現代的な文様のモダン切子などの商品が生まれた。マイグラスは子供のころから本物に触れてもらいたいと、手に優しい吹きガラスに切子でかわいらしい模様を彫ってある。杜康とは中国古代の酒造りの神様の名前である。杜康の玻璃は醸造技術に精通した戸塚昭先生と共に日本酒が最も美味しく感じられる口元のグラスを作り、酒により浮かぶ切子の文様をあしらった。日本酒好きには評判がいい。
十数年がたち、2010年、海外の大学でデザインを教えていた友人に「鍋谷さんのところのオリジナルグラスをブランドにしたほうがいい。名前を決めたら僕がデザインするから」と熱く言われ、思い切って「蒲田切子」と名前をつけた。「フォレスト社」のブランドということになる。江戸切子に対抗するというような不遜な気持ちはない。あるのは、僕が生まれ育ち、父が営む切子の町工場で家族や職人の人たちと暮らした蒲田、また大正、昭和初期に映画撮影所やタイプライターや陶器、クリスタルガラスなどモダンな産業が生まれた蒲田、匠の職人の人が働き、暮らす蒲田へのオマージュ(敬意)である。そしてこの気持ちの源泉は、12歳の時に太古の飛鳥の香りに触れたことにあるのではないかと感じている。 おわり
●鍋谷 孝(なべたに たかし)南久が原在住
グラス フォレスト http://www.glassforest.co.jp/