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文士たちが愛した馬込 その1 尾崎士郎記念館と飄々祭  

           その2 坂の町に住んだ数多の文化人

NPO馬込文士村継承会  矢野マサ子  

2012年5月、5月15日掲載  

 

 4月1日、ほころびはじめた桜のもと、例年四月第1日曜日の「馬込文士村大桜まつり」が晴れやかに開催された。
 馬込にはご存じのとおり、多くの作家・芸術家が居住しお互い交流しあいながら暮らしていたのだ。北原白秋・萩原朔太郎・山本周五郎・川端康成・尾崎士郎と宇野千代など、近代日本の作家たち、画家では川端龍子・小林古径・伊東深水・川瀬巴水とキラ星のごとく一時期八十人を超える文人が住んでいた。また、時代が変わるが三島由紀夫も馬込の住人だった。日本の中でもこれほどの規模を持つ所は数少ない。この稀有の歴史と文化の町を後世に伝える事を目的に平成12年に「馬込文士村継承会」は発足した。
 会は、いままで百回近い講演会・コンサート・文学館めぐり等を開催し、特に馬込文士村のまちづくりという視点から数々の提言も行ってきた。その中で我々の悲願でもあった、尾崎士郎記念館の完成は嬉しいニュースとなった。
 尾崎士郎は馬込文士村の中心的存在で、人に好かれる事が欠点という人間味溢れたふしぎな魅力をもって、多くの人から慕われ自然とこの地に人を集めたのかもしれない。大田区の偉大な功労者なのではないかと思う。また、文士たちの中でも一番長く大田区に住んでいて、最期を山王の自宅で迎えた。
 尾崎士郎記念館は平成20年5月1日にオープンした。その数年前、ご遺族からのお話が出た時、いち早くご自宅を残す陳情を集め大田区に提出し、記念館として残す事が決定し馬込文士村の拠点の一つになった。翌年から、この記念館をもっと区民に親しんでもらおうと尾崎士郎を偲ぶ催しをと「瓢々祭(ひょうひょうさい)」を開催している。それはご長男、尾崎俵士氏の命名で祭とつけたのは「父は賑やかなのが好きだったので、忌は似合わない」ということで祭になった。今年は開館月の5月6日(日)に第四回瓢々祭をマミフラワーデザインスクールを会場として開催する。
 尾崎士郎記念館は当時の居間をそのまま復元したもので当日は一般公開される。生前、相撲のてっぽうをした大きなケヤキや白樺の木も残されていて、5月の新緑の中、山王の静かな記念館で、尾崎士郎を偲び文学を味わっていただける1日となるだろう。
 午前は馬込文士村ガイドの会による尾崎士郎記念館&山王界隈ウォークがあり午後はマミフラワーデザインスクールの会場で「歌と胡弓と尾崎士郎物語」と題し尾崎の好きだった「大楠公」を胡弓の音色と歌で偲び、尾崎士郎物語として講演もある。(事前の申し込みが必要)今年は「馬込文士村絵巻」パネル展を大田区の各所で展示する予定になっている。
 文士たちが「馬込は楽しかったね。いい所だったね」と述懐していたように、子供たちがふるさとの大田区はすばらしいねと誇りにできる町を保存していきたいと願っている。

 

その2 坂の町に住んだ数多の文化人

 

馬込は九十九谷と呼ばれて坂が多い。人生を坂に例えたり坂にロマンを感じたりと坂は人を惹きつけるものがある。そこに文士たちもいた。
 南馬込に「臼田坂」という坂があり、川端康成・三島由紀夫・石坂洋次郎・稲垣足穂・衣巻省三・川端龍子・尾崎士郎・宇野千代等々・・・
 馬込文士坂と命名したい程、多くの文士がこの坂を行き来していた。この坂を「富士見坂」とも言い富士山の眺めもよく、中程にあるこんもりとした森は、幕末には福山藩主阿部正弘の別邸があり、桜の名所として知る人ぞ知る所である。長い坂の頂きから遠く東京湾を望む名坂だ。昭和の広重といわれた川瀬巴水・薔薇の大家、水彩画の真野紀太郎・古径の弟子、岩崎巴人・須藤宗方が坂上の一角に居住していたのでこの辺を芸術村と言っていた。
 臼田坂下には日本画の巨匠、川端龍子の住居とアトリエがあり、近くに池部良の父親、画家の池部釣が住み、お互いに交流もあった。龍子記念館は生前ご自身の設計で龍を象って建てられ、アトリエ・庭園とともに龍子画伯の魂魄がそこここに込めて造られている。区民ホールアプリコの緞帳や池上本門寺の大堂の天井画の力強い龍の作品は龍子の未完の絶筆として有名である。その後奥村土牛によって眼を点じ完成となった。
 また馬込文士村の大きな魅力は日本を代表する詩人が多くいたことでもある。北原白秋・萩原朔太郎・室生犀星・三好達治・佐藤惣之助・草野心平と枚挙にいとまがない。
 坂上の住人、萩原朔太郎の影響を受けた牧章造・館南彦兄弟や島朝雄・川崎洋等の現代詩人も多くこの地から育っている。文化を育んできた土壌からは必ず新たな芽生えがある事を確信して大切に守っていきたい。
 馬込文士村といわれて親しまれているのには、現在まで多くの研究者や文学愛好家の方々の功績があった事を忘れてはならない。その中のお一人、野村祐氏は大田区内の中学校の校長を勤めながら休日には、馬込文士の足跡を調べて歩かれ、「馬込文士村の作家たち」の本としてまとめ自費で出版、貴重な資料として残していただいた。
 馬込文士村文芸の会の会長として講演活動や行政への提案等、馬込文士村への熱き情熱で今の基盤を作られた開拓者である。
 馬込文士村継承会もこの先人の意志を継ぎ大田区に染み込んだ文化力を引き出し、日本復興のこの時に微力ながら若者たちへ希望の力となればと願っている。 


●矢野マサ子(やの まさこ)南馬込在住

 馬込文士村継承会 T/F 3771-4846

 

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