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文文文(bunbunbun)

 

我が街を歩く 1  下を向いて歩こうよ  宮川達雄    

2012年6月掲載  

 

 団塊の世代が定年を迎えたためなのか、それとも不況でお金を使わない余暇の楽しみ方なのか、ぶらり散歩がはやっている。テレビでもその手の番組が人気だ。僕も健康のために散歩をしているが歩けば歩く程、起伏に富んだ足下の地形が気になって来る。
 二万五千分の一の地形図は購入可能だが微妙な高低は判読しづらい。パソコンに数値データで地形図を表示させるソフトもあるが、自分の環境では難しい。いろいろ悩んでいると、グーグルアースに東京地形地図を表示させる事が出来ると知り早速やってみた。
 国土地理院のデータから作成された詳細な地形図が閲覧できる。微妙な高低差が色付きで表示され、海抜表示も出来る。これは優れもの。改めて我が街を見ると地面の凹凸が手に取るように解る。
 僕は六郷用水沿いに住んでいる。江戸初期に小泉次大夫が開削した用水は人工の河川だ。元来の地形はどうだったのかを知るためには微妙な地形図が役に立つ。水は低い所を流れるという前提で地形図と明治や大正期の地図を見比べると、いたるところに水の流れや痕跡を見ることができる。
 僕の子供の頃には既にドブ川になってしまった六郷用水やその他の水路は、現在ではほとんどが暗渠と化し細い抜け道や広めの歩道に姿を変えてしまった。人はそこを歩道だと認識はするが水路であったとは気づかない。
 嘗て観蔵院の近くの六郷用水にかかる護摩堂橋の脇に洗い場があった。そこには小さな水路が北から注いでいた。暗渠になった水路跡を上流に遡ると新幹線、中原街道を越え環八の仁木ゴルフ脇まで辿れるのだ。地形図を見ると緩やかな谷が続いている事で成る程と思う。
 洗い場より下流は元々この水路が流れていた谷間を六郷用水が堀進んだと推測している。光明寺と藤森稲荷の間に流れがあったのだろうか。都市化されてしまった我が街だが、こんな方法で昔の姿が想像できる。
 地形図を見なくとも普段歩いている時、車に乗っている時、その道は単に平坦ではない事に気がついてほしい。また、道の両側も同じく高低差があるだろう。そして、道が下がりきった所は必ずと言っていい程過去に水が流れていたか溜まっていた所だ。道が上がりきってその先が下り坂ならそこは尾根だ。分水嶺ともいえる。そうして街を観察する事で自然と地形が見えてくる。そして過去をのぞくには「下を向いて歩こうよ」だ。 つづく

 

●宮川達雄(みやがわ たつお)鵜の木在住

 

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