オニタビ通りを行く(1) 廣瀬 達志
2012年10月掲載
「オニタビ通り」という道路をご存知ですか?
大田区には多摩川から品川に向けてJR京浜東北線と京浜急行線の二本の鉄道が南北に走っています。この二本の鉄道に挟まれるように蒲田から大森に向かって南北に走る道路があります。この道路は大森西六丁目の東邦大学大森病院の前を走っているため、いつの日からか「東邦医大通り」と呼ばれています。東邦大学病院は大きな病院なので大田区の人なら一度くらいは聞いたことがあるかも知れません。
ここはNHK朝の連続ドラマ「梅ちゃん先生」が通っていた女子医専のモデルの学校があった場所で、実際に大正十四年(一九二五年)に「帝国女子医専(医学専門学校)」として設立され、現在は東邦大学大森病院となっています。
この大森病院前の道路の正式名称は、東京都市計画道路補助二七号線といいますが、普通の人には聞きなれない名称で、多くの人は「東邦医大通り」と呼んでいます。
地元には数は少なくなりましたが、この「東邦医大通り」のことを「オニタビ通り」と呼ぶ人たちがいます。なぜ「オニタビ」かというと、この通りの沿道に戦前「オニタビ工場」というコールテン足袋の製造工場があったからで、戦前から地元に住んでいる古老には特に違和感のない呼称なのです。工場のあった場所は現在の大森第八中学校のある所です。
私が初めて「オニタビ」という言葉を聞いたのは一〇年以上前ですが、この「オ・ニ・タ・ビ」という力強い音の響きは、簡単に忘れられないインパクトがありました。「オニタビってなんでしょう?」機会があると疑問を地元の人たちに投げかけました。
昭和二〇年(一九四五年)の空襲・終戦と同時にこのオニタビ工場は消滅し、既に七〇年近く経っています。地元でも詳しく事情を知っている人にはなかなか巡り会えませんでした。「昔、沿道にオニタビ工場があったからオニタビ通りと呼ばれた」ということは言い伝えられていますが、それ以外はほとんど分かりませんでした。
実は結論から言いますと、明治後期に当時輸入品しかなかったコール天の国産化に成功した寺田淳平という企業家が、国産のコールテン足袋を製造販売しました。丈夫で温かいこの画期的な新素材の商品は日本中から圧倒的な支持を得て、明治後半から大正、昭和初期にかけて一世を風靡しました。このトップブランドこそが「鬼足袋」で、今でいうなら、ヒートテックやシルキードライなどの素材開発と商品化で他の追随を許さないユニクロのような存在だったと思われます。そのオニタビ製造工場の前を走る道路がいつしか「オニタビ通り」と呼ばれるようになっていったのでした。 つづく
●廣瀬達志(ひろせ たつし)蒲田開発事業(株)まちづくり部長・元区職員