東松島市災害ボランティア(1)赤いスプレーペンキの×印 新倉 太郎
2013年3月掲載
宮城県東松島市。西側には国特別名勝の松島を抱える松島町、東側には宮城県第二の都市である水産加工業で有名な石巻市。このふたつの市町の間にあってすこし地味な町です。東松島市は平成一七年の「平成の町村大合併」により石巻市寄りの東側、矢本町と松島町寄りの西側、鳴瀬町が合併して「東松島市」になった町なので、知名度はまだ高くありません。
太平洋に面した風光明媚な土地であり、海岸は白砂青松。気候は東北地方にしては温暖湿潤。とても住みやすく、いい町でした。あの震災前までは。
震災後、大田区はこの東松島市を重点的に支援することになりました。その詳しい経緯は別の機会に譲るとして、大田区の支援の一環として大田区在住在勤者により、災害ボランティアチームが編成され、震災直後からこの東松島市に入りボランティア活動をしているのです。その活動は二年経った今も続いています。
大田区の災害ボランティアチームの一員として僕が最初に被災地に入ったのは、震災から約二ヶ月経った、平成二三年五月の連休でした。
街は汚泥と瓦礫に覆われていました。かろうじて道路だけが開かれていて、大きな通りの歩道には取り除かれた汚泥と瓦礫が入
った土嚢袋が山のように積み重
ねられていました。狭くなった道路を大型車両が唸りながら走り去ります。
海に近い家々はほぼ全滅。津波から破壊と流出を免れた建物は構造的に頑丈だったのでしょうか。二階建てのアパートは一階部分がすっかり壊れ二階が地上に落ちています。漁船が民家の庭の中にあります。中には船尾から家の中に突っ込んでしまっている漁船もあります。漁船の建屋が民家の二階ベランダを壊している光景も。
パチンコ屋さんだった大きな建物の中には床一面に汚泥が堆積して、ねじくれた乗用車が何台も、店内に置き去りにされています。パチンコ台はどこへ行ってしまったのでしょう。倒れた電柱、斜めになった電柱、切れた電線。でも停電状態が続いているので電線に危険はありません。田んぼの中に海洋ブイが取り残されています。汚泥で覆われた田んぼで、今年の収穫は無理でしょう。
この地方で唯一の鉄道である仙石線はズタズタになってしまいました。レールが曲がっています。歪んでいます。枕木がところどころ浮き上っています。架線を支えていた電柱は影も形もありません。農協の倉庫に整然と保管してあったお米はすべて水をかぶりそのまま腐ってしまい、ものすごい異臭を放ち始めていました。
街のあちこちに片付いていない車両があります。「×印が赤いスプレーペンキで記されている車両は、その中に死者がいた車両です」と、地元の人が淡々とした口調で教えてくれました。
つづく
●新倉太郎(にいくら たろう)久が原在住